歴史

鍼灸の起源と歴史
今から数万年にさかのぼる原始時代の人達は、外敵から身を守る方法や身体の病苦を色々な方法で治療することを覚え、そしてより良い方法を改良しながら治療していました。 例えば、石鍼を利用しての鍼治療、そして火付け用ホグチに使っていた”もぐさ”を利用してのお灸治療などが後の鍼灸治療として伝承されて来たと言われております。 鍼灸治療が歴史上で確立されたのは、東洋医学の源、中国の殷王朝・周王朝(紀元前1500年~700年)時代。黄帝とその家臣が、幾多の問答をしながら、薬理の集積を編述したと云われる医学原典が世界最古の黄帝内経書の素問と霊枢(紀元前1200年頃)であります。 この原典の霊枢編には鍼灸が詳しく記されておりますが、この原典が生まれた黄河流域は、北方の痩せた土地(つる草やよもぎ草程度しか繁殖しない)の地域の為に、石バリで膿等を出したり、圧したり、ヨモギ草を健康食やお灸材として利用するしかなかった地域であり、人間が生まれながらに持っている自然治癒力を利用する治療方法を、石バリやお灸で見つけ出したのであろうと言われております。 このような方法が最も簡素でありながら、結局は人間の医療として最適だったのです。 この医学原典を鍼灸の起源とすれば、鍼灸治療は3000年以上の歴史があり、西洋医学主流の現代まで延々と続いている鍼灸が、いかに素晴らしい治療法であるかを証明しております。
日本の鍼灸の歴史
黄帝内経書の流れを基とした鍼灸は仏教伝来と深く関係し日本に渡来しました。 飛鳥文化時代の欽明天皇(552年)の時、中国呉の国から薬書・明堂図などの鍼灸医書が輸入されたのが最初であると言われております。 次に、奈良朝時代の文武天皇(700年)の大宝律令には、わが国始めての医事制度(一般医療科と鍼灸の専門科等)が制定され、鍼灸が国家の医療として確立しております。 また、平安時代には、わが国最古の医書=医心方=(丹波康頼著)が永観2年(984年)に完成し、今日の鍼灸指導書の基となっております。 この医書には、病因の誘因は「寒と熱」:「風と湿」:「飲と食」の3要件であり、五臓六腑の虚実、栄衛の通閉により疾病が起ると説明しています。 その後、鎌倉・室町時代に入ると、中国との宗教交流が盛んな時代になり、東洋医学も仏教的医学に執着する学識ある僧侶の鍼灸医術者が多く生まれました。 今日、その流れを続けるお灸寺も日本各所に残っております。 安土桃山時代から江戸時代には、宗教医学を改め、中国医学を日本化した実証医学の開祖、曲直瀬道三(李朱医学系の啓迪集八巻)が道三流鍼灸として、天皇や幕府に仕えておりました。 さらに、江戸時代になると古方医学の名古屋玄医、徳川綱吉時代には杉山和一の杉山流鍼灸等、実証的東洋医学の全盛時代でありました。 又、お灸の全盛もこの頃で、徳川綱吉時代の延宝元年(1673年)から元禄3年(1690年)にかけて、オランダやドイツの医者が来訪し、各著書の中に灸治療を記述すると共に、お灸の材料にはモグサ(Moxa)と日本名で、広く欧州にもモグサを紹介しております。
しかし、明治時代になり、維新の変革ですべてが西洋風潮となり、治療方法も西洋化し、鍼灸治療の優秀性を主張する医術者の努力も充分でなかった事もあって、明治28年2月の国会で「医師免許規則改正法律案」が僅かの票差で否決され、鍼灸医術はついに民間療法と位置付けをされてしまったのです。 このことは今日の医療費補助制度などにも大きな意味を持っております。 しかし、明治末期から昭和期にかけて先覚医学者が実験研究で治療効果を認め、鍼灸の免許資格も制定される等、終戦までは過去の経験至上主義から、学理・科学的な解明研究が大いに進みました。 終戦の一時期、米国の占領下では施術の禁止令が行われた事もありましたが、病原の明らかな病気は新薬で即座に治癒するが、慢性内因性の病気が一向に良くならない現状や副作用の心配等もあり、東洋医術の特に鍼灸が、これらの病気や現代人の体質改善や保健医療として必要だという意識に変わり、次々の科学的事例も研究発表され、今日又、鍼灸を見直す環境が出来上がりつつあります。 こうして鍼灸の歴史を振り返ると、その時、その時代の考え方で治療方法としての取り入れ方に浮沈はあっても、この鍼灸治療を見つけ出す為に何千年もの体験で育てあげた、人間の英知の結集であるこの治療法が、現代人にも必要とされており、今後、鍼灸方法や材料等に多少の変化はあっても、人間が生きていく上で、最も簡素で合理的な治療法として永続して行くことと確信しております。
伊吹もぐさの歴史
まず材料の話からになりますが、お灸の主材料はモグサであり、原料はヨモギ(蓬)であります。 ヨモギは山野に野生する菊花植物の多年草でありますが、他の植物に比べ栄養分が多く、元来ヨモギは仙人草で下熱剤・駆虫剤・利尿剤・止血剤としての効能があります。 又、モグサは「燃え草」の意味も有り、古代より木を擦って火を起こす時の点火材(ホグチ)として、点火しやすく消え難いという長所があり、お灸材の必要条件と合っております。 モグサにおいては、ヨモギの葉の裏面の灰白色の毛が、モグサの品質上、非常に重要ですが、わが国では、江州伊吹山や越中・越後地方の山地のヨモギには葉の裏の柔毛が多いので、品質が良い上に製造上歩留まりも良いとされております。 滋賀県の伊吹山は、東洋医学全盛期の天正4年(1576年)頃に織田信長がポルトガル人に命じ、伊吹山麓一帯50町歩に薬草や優秀な山蓬草を移植させた時に始まり、薬草の山として認知されてから、400年以上の歴史があります。 東洋医学全盛期には今の滋賀県、福井県、富山県、新潟県などにもぐさの製造工場がありましたが、特に滋賀県では江州の商人の努力と才覚(江戸の遊女に伊吹のモグサの歌を歌わせる等の宣伝努力もしたと云う歴史もある)で、「モグサのことなら伊吹のもぐさ」と云われるほど、有名にしました。ただ、その頃から労働力や労賃の関係などで、江州の商人は次々と工場を北陸地方に移し、今で言う営業や宣伝に力を注ぎました。その後、医療の西洋化によってもぐさ工場は次々と閉鎖に追い込まれ、今では新潟や富山の工場だけが残っているだけです。 未だに、「伊吹もぐさ」を認知して頂いている方が多数おられるのは、それだけ広く知れ渡った歴史の表れです。そして今では、一つの”商品名”、あるいは高級もぐさの代名詞として使われております。

※弊社が扱う「国産もぐさ」はすべて新潟のモグサ工場で製造されたものを使用しております。

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