自然とは何か

いつもありがとうございます。七代目の小林です。

先日、お世話になっている取引先でもあり、深い話が出来る友人でもある「ごとう製茶」の後藤さんに久々に会いに行きました。

茶畑での作業を止めてもらうのも申し訳ないので、ちょっとご挨拶程度に、とお伺いしたのに、話が盛り上がりすぎて、結局4時間ほどお邪魔してしまいました。。。後藤さん、いつもありがとうございます。

後藤さんのつくるお茶は、完全無農薬栽培でどれも最高に美味しくて、特に紅茶は芸術品です。そんな後藤さんとの話の中で特に印象的だったキーワードを挙げておきたいと思います。

「手を加える・その人もまた自然の産物」

お茶においても、人がつくっているのか、それとも大地・茶畑・太陽・雨・空気・人がタイミングを合わせて作りあげたものなのか。

後藤さんは茶葉を摘んでいるときや加工をしているときは夢中で、その場に溶け込んでいる。

そうして生まれたお茶は、とても美味しく記憶に残る。

私自身も安易に使ってしまっている「自然派」などという言葉もそうですが、「自然を守る」「自然と共に」「自然の環境」など、自然という言葉が、人工物の反対を指す意味で多く使われてきたなかで、私達のなかですでに、人と自然はイコールではないという何か見えない線で分けてしまう意識が刷り込まれてしまっているのだろうかと。

先日、静岡の治療家さん達と深夜まで話していたなかで出てきた

「プレーが美しい選手は、その場に溶け込んでいるように見える」

という言葉と一致して、スポーツでも農作業でも、工事現場でも、モノづくり現場でも、重要な会議でも、なんでも美しい仕事というのは、美しい一枚の絵のようになっていて、それらの奇跡が生み出すモノやコトが、ちゃんと地球の大地の上で自然に生まれ、大地の上で暮らす人や動物や植物に影響を与える。さらに言うと、そこに優劣はなくて、良い悪いは誰かの基準か誰かの基準に洗脳された自分の脳が邪魔をしているのであって、問題すら存在せず、問題提起こそが問題なんだと。

その場、その時、夢中に。

自然に、溶け込む、大地と、人の行い。

あるがままに。